2013年 03月 27日

『メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年』小林紀晴(集英社)読了。
「なぜ、写真家は、自殺した妻・クリスティーネの最後の姿をカメラに収め、発表し続けるのか? 写真家・古屋誠一の壮絶な人生を写真家・小林紀晴が描く渾身のノンフィクション」
(書誌データより)
久しぶりにガクガクとする本だった。
写真を撮るということ、写真集を編むということ。NYのテロから東日本大震災を下地に、自らも写真家である小林紀晴氏が硬質なテクストで綴る、古屋誠一との20年。
「さあ来たぞ。お前たち呪われた眼よ。この美しい光景を思いきり楽しめ」
プラトンの『国家』より、本編でも最初と最後に登場するこの言葉が帯にも引用され、読み手である私たちは、自分もまた、「呪われた眼」を持つ人間なのだと気づかされる。
自分のブログを探ってみたら、2010年の7月にこんなことを書いていた。
クリスティーネ
日本と海外での死生観の違い、(交流のある)荒木経惟氏と古屋氏の意見の対照などを所々にちりばめながら、エピローグでは東日本大震災に向かう写真家・向かわない写真家の対比などにも触れており大変興味深い。
古屋さんの写真を展覧会で見たのは2008年と2010年の2度のみだけれど、最後のメモワールを逃さないで良かった、と改めて痛感。うまく言葉でいえず歯がゆいのだけど。一度でも古屋さんの写真群を見た方なら、一読されることを勧めます。
『メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年』小林紀晴
(かばんに放り込んで本を読むのでいつもカバーがヨレる)
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by iwafuchimisao
| 2013-03-27 06:31
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