2012年 02月 23日
帰り道と焼きそば
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「帰り道と焼きそば」と聞いて、人は何を思い浮かべるだろうか。
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某月某日
夏の暑い日、高田馬場のルノアールで表題「帰り道と焼きそば」をテーマに朗読会を行った。駅近くのこのルノアールには、半端な中二階とでもいうべきスペースがある。舞踏会を思わせる階段を上がった際の狭い4人がけのスペースから見下ろすフロアは、絨毯の柄込みで異様な黒ミサ感があって、密談にはうってつけの場所だ。

「帰り道と焼きそば」という語感からは、青春の匂いしかしない。それも、地に足着けた誰かとの実直な関係性の中で育つ類いの青春だ。最後に人と焼きそばなんて食べたのいつだっけかな、と思い返しながら、それぞれがそれぞれの物語を読み上げるのを聞いている。
私はもっと無邪気な頃、同じ駅で降りた見知らぬ男性の後を尾行して、「彼」がスーパーで四分の一カットのキャベツを買ったりレコード屋を覗いたりするのをずっとついて回る、といった記録をつけていたことがあるけれど、その時存在を想像した「彼」の恋人は、「彼」の買ってきたキャベツで焼きそばを作っただろうか?
もしくは、あなただったら「帰り道と焼きそば」で一体どういう物語を作るだろうか?
××××××××
夏の夜は永遠に暑くて、私たちは朗読会帰りにアイスを買うことにする。
アイスなんてもう何年も食べてない、というG君がコンビニのケースの前で「そもそもアイスに栄養なんてあるの?」などと言い出すので、私たちはコミュニケーション・ツールとしてのアイスの可能性を存分に説いてやった。栄養うんぬんでアイスを食べるのではない、つまり、こうやって、夜の光の下で、誰かと食べる、というサークルの美しさこそが重要なのだと。
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ああ、
今思い返せばこれはもしかして、私がその日語らなかった、私の「帰り道と焼きそば」の物語をつかんだ瞬間だったのではないだろうか? アイスと焼きそばの違いはあれど、何かあるお話の中で、食べ物を介して友愛を交換した瞬間だったのでは?
書くこと、それはこころを込めてなにかを拾いとどめようとすること。
買ってもらったアイスが当たりだったこと、
あの夜の光。

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某月某日
夏の暑い日、高田馬場のルノアールで表題「帰り道と焼きそば」をテーマに朗読会を行った。駅近くのこのルノアールには、半端な中二階とでもいうべきスペースがある。舞踏会を思わせる階段を上がった際の狭い4人がけのスペースから見下ろすフロアは、絨毯の柄込みで異様な黒ミサ感があって、密談にはうってつけの場所だ。

「帰り道と焼きそば」という語感からは、青春の匂いしかしない。それも、地に足着けた誰かとの実直な関係性の中で育つ類いの青春だ。最後に人と焼きそばなんて食べたのいつだっけかな、と思い返しながら、それぞれがそれぞれの物語を読み上げるのを聞いている。
私はもっと無邪気な頃、同じ駅で降りた見知らぬ男性の後を尾行して、「彼」がスーパーで四分の一カットのキャベツを買ったりレコード屋を覗いたりするのをずっとついて回る、といった記録をつけていたことがあるけれど、その時存在を想像した「彼」の恋人は、「彼」の買ってきたキャベツで焼きそばを作っただろうか?
もしくは、あなただったら「帰り道と焼きそば」で一体どういう物語を作るだろうか?
××××××××
夏の夜は永遠に暑くて、私たちは朗読会帰りにアイスを買うことにする。
アイスなんてもう何年も食べてない、というG君がコンビニのケースの前で「そもそもアイスに栄養なんてあるの?」などと言い出すので、私たちはコミュニケーション・ツールとしてのアイスの可能性を存分に説いてやった。栄養うんぬんでアイスを食べるのではない、つまり、こうやって、夜の光の下で、誰かと食べる、というサークルの美しさこそが重要なのだと。
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ああ、
今思い返せばこれはもしかして、私がその日語らなかった、私の「帰り道と焼きそば」の物語をつかんだ瞬間だったのではないだろうか? アイスと焼きそばの違いはあれど、何かあるお話の中で、食べ物を介して友愛を交換した瞬間だったのでは?
書くこと、それはこころを込めてなにかを拾いとどめようとすること。
買ってもらったアイスが当たりだったこと、
あの夜の光。

by iwafuchimisao
| 2012-02-23 05:31
| BLOG

