2010年 12月 20日
花々の過失
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JR高円寺の駅、朝の時間に大きな音で音楽が流れるようになったのは、電車の発車音を聞いて駆け込む輩を減らそうって魂胆か。にしても爆音すぎて朝からおかしなテンションになるぜ。師走。ああ、元気です。
爆音といえば、ついに封切りになりました、ヴィンセント・ムーン監督の友川カズキドキュメンタリ「花々の過失」。秋田の狂い犬ことフォークシンガー友川カズキの肖像を、take away showでもおなじみフランスの映像作家ヴィンセント・ムーンが70分の映画にまとめたもの。日本語音声の英語字幕なんですが、ドキュメンタリ性が強すぎて、代名詞が誰を指すのかわからない時もあったりで、意外と英字幕が役だつからみなさん注意して。光と陰の美しいヴィンセントの映像はとても詩的な佇まいで、友川カズキの怒りに良く似合う。
還暦を過ぎて2月にはお誕生日を迎えられる友川さん、メディアの露出がここにきていよいよ激しく、もう私ももろもろ終えてませんが、12/10デイリーYOMIURI掲載の記事が大層大きく、とても良いことをいっていたのでみなさんぜひ。デイリーヨミウリって和訳どっかにないのかな?
下記、完全に私の意訳ですが、みんなで読んで間違いを直していこう。よろしくね!
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「これ、こういうの何ての? けばけばしい街灯…イルミネーション? 私、このそば通る時は目をつぶって歩くのよ。これ見てきれいとかいってるカップルもいるけど、ばかげてるよなあ。真っ暗な空の方がずっと美しいって、なんで思わないの?」
詩人であり歌い手でもあるアーティスト、友川カズキは、東京のカフェの一角に座って私にこういった。バックにはクリスマスソング、喫煙席は屋外だ。
フランスの監督ヴィンセント・ムーンの手がけた友川カズキの新しいフィルムがなければ、彼がどんな人間であるか知るのは、コアなファンくらいだっただろう。年齢性別を問わず何十年も彼の表現を見守り続けていたファン層、ということだが。
「私はいっつも空を見上げてるけど、一度も十分だと感じたことがないんだなあ」
空を見てその肌に風を感じることが大事なんだという自身の信念から、友川はしかめっ面をしながら言う。
「ちょうどこの夏だよ、私は公園で肌日焼けさせながら、鉄アレイでトレーニングやってて、空を見上げてたんだよ。だけどもう不快なくらい暑くてさ、外に出てるのなんて私一人だよ。私とカラスだけ」
「人間って進化してないの。変わるだけ。喜びとか怒り、悲しみ、楽しさ…そういう感情を深める機会ってのをずっと逃し続けてるんだな…結局一枚の紙以上の複雑さなんて持てないの」
そういって新しいタバコを取り出す。
1975年のファーストアルバム「やっと一枚目」をリリース以来、友川は数々のアルバム、詩集、絵本、そして、もうひとつの情熱である競輪に関するエッセイを出してきた。
「今日、ちょうど競輪のレースからの帰りなんだよ。興奮してるように見えるだろう」
笑いながら彼は言う。
その話題になるとまるで哲学者のようになるのだ。
「必要なのはものごとの性質を理解する力なんだ。数字を読むんじゃない、選手の心を読むんだ」
タバコの灰がジャケットに落ちるのも気にせず、友川は熱く語る。
「だから、競輪てのはもうほとんど文学の世界なんだな。深いよ…とても深い。ひとつレースを見終わると、何冊か本を読んだような気分になるな」
友川の前に置かれた二箱のタバコは、まるで大切な宝物のように見える。激しい歌詞で知られているにも関わらず、彼は親しみやすく、魅力的で、秋田訛りの穏やかな声で話す。彼は、その洞察力と同じくらいユーモアに溢れているのだ。
友川はアコースティックギターひとつで、80席くらいの小さい会場での演奏を続けている。演奏中は、まるで詩を読んでいるかのように低い声の時もあれば、叫びうなって夢中でギターをかき鳴らし、途中で弦を切らすこともある。
多くのアーティスト達が友川の演奏を崇拝しているが、今までそのほとんどが日本人だった。けれど昨年、他とはまるで異なる友川のスタイルがひとりの外国人映像作家の心を捉え、このアンダーグラウンド界のグルをレンズに収めようと決意させることとなる。
ヴィンセント・ムーンは映画「花々の過失(La Faute des Fleurs)」──友川カズキの肖像──を撮るために日本へやってきて、2週間滞在した。このフランスの監督は、Take-Away Showsという自身のプロジェクトで音楽業界で名を馳せ、R.E.M.やシガーロス、The National、ヨ・ラ・テンゴにトム・ジョーンズといった輩を出演させている。このプロジェクトは、ミュージックビデオの製作と配信の在り方を変えるきっかけになったのだ(クリップはヴィンセントのウェブサイトで見ることができる)
「日本へ着く前の二ヶ月間、僕はただ彼(友川)だけを聴いてたよ」
ヴィンセントはそういってサン・パウロからeメールをよこした。
この70分間のドキュメンタリは日本人歌手のステージの上と日常を追い、彼の息子を含む関係者達のコメントで彩られている。映画には自宅で競輪のレース観戦で熱くなる姿と、弦をかき鳴らす狂った友川の姿が同じように収められているのだ。
ヴィンセントは友川のことをこう言っている──
「強い人間だ──最初は近づきがたいと思ったがすぐにその印象は変わった。彼の寛大さと、他者への気遣いに驚いたよ。日に日に私たちは親密になっていった。彼は複雑な人間だが、人生へのアプローチという点で非常にラディカルだ。彼は私を変えたんだ──永久的に。この星で生き続けるということに対して、啓示を受けたように感じたよ」
友川も最初は映画のクルーと仕事をすることに興味を持てなかったようだ。
「どこへでもついて来るのよ彼らってば」友川は言う。
「そういうの好きじゃないでしょう、私、一人で暮らしてるから。だからマネージャーに言ったの、毎日つけ回されちゃ困るって…でも、それからヴィンセントの仕事を見させてもらったらね、びっくりしちゃって。それで、オファーを受けることにしたの」
ヴィンセントの作ったドキュメンタリが、友川を驚かせたのだ。
「彼(ヴィンセント)は学者みたいなんだな。非常に頭も良くて、べったりってわけじゃないの。何人かで外に飲みに行くときもちょっと離れたところに座って、微笑みながら酒をすすってるの…いつも私とは一定の距離を置いてたな。近づきすぎるとね、その人の本当ってのが見えなくなるんだよ。彼はそれを知ってたんだなあ」
「酔わないとステージに立てないのよ。酒なしでは歌えないくらいシャイなの…臆病だしね。前はね、歌詞カードの後ろに隠れてたくらい。良くも悪くも、今では歌詞全部覚えられないからそれが目の前にないと歌えなくなっちゃったけど」
映画の中で、ヴィンセントは友川の歌に英語字幕をつけることをやめた。
「まず言葉というのがそんなに好きじゃないんだ。身体での表現が好きだし、友川の身体表現はそれだけで激しく、言葉を加えると観客にとって複雑になりすぎてしまう。ふたつめに──そうやって自分が友川カズキを聴いたから。歌詞を読まなかったんだ。翻訳してくれる人もいなかったしね。ただイマジネーションだけで聴いたんだよ」(ヴィンセント)
近年では、友川はスコットランドやベルリン、フランス、韓国などで公演を行っている。観客は彼の言葉を理解できたのだろうか??
「私の声の音は何かを意味するかもしれないけど、まあただの音だよね。歌詞の質とかが大事なんじゃないの。結局、どう感じたいかだよ」
歌詞の意味が聴いてわかる人と、わからない人との感情的なスキマを否定して、友川が言う。英訳できない歌詞だってあるはずだと、とも。
友川は現在60歳、怒りは変わらずそこにある。
「日々が“淀みきった”この“島国根性丸出し”の国では何も変わらない」と彼は言う。
ドキュメンタリ映画が取り上げられてる間に、36年間に渡って書きためられた詩を集めた歌詞集ももうすぐ発売される。彼を支えてきたファンにとっても新しいステップになるのか?
「私は60年生きてるけど、大きな波は期待していないよ。これも小さな波で終わるかもね」
そういって友川はふざける。
しかし、最近の彼のライブは、20代や30代のファンが多い。
「なんでかわからないねえ…私くらいの年の人ってライブやらないでしょ。それってもう死んじゃってるってことだもんね。社会的に。もうみんな死んじゃってるんだ」
しかし、友川カズキは死んでいない。
彼は、相変わらず感情的に、生きている。
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さあ、映画見に行きましょう。
爆音といえば、ついに封切りになりました、ヴィンセント・ムーン監督の友川カズキドキュメンタリ「花々の過失」。秋田の狂い犬ことフォークシンガー友川カズキの肖像を、take away showでもおなじみフランスの映像作家ヴィンセント・ムーンが70分の映画にまとめたもの。日本語音声の英語字幕なんですが、ドキュメンタリ性が強すぎて、代名詞が誰を指すのかわからない時もあったりで、意外と英字幕が役だつからみなさん注意して。光と陰の美しいヴィンセントの映像はとても詩的な佇まいで、友川カズキの怒りに良く似合う。
還暦を過ぎて2月にはお誕生日を迎えられる友川さん、メディアの露出がここにきていよいよ激しく、もう私ももろもろ終えてませんが、12/10デイリーYOMIURI掲載の記事が大層大きく、とても良いことをいっていたのでみなさんぜひ。デイリーヨミウリって和訳どっかにないのかな?
下記、完全に私の意訳ですが、みんなで読んで間違いを直していこう。よろしくね!
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「これ、こういうの何ての? けばけばしい街灯…イルミネーション? 私、このそば通る時は目をつぶって歩くのよ。これ見てきれいとかいってるカップルもいるけど、ばかげてるよなあ。真っ暗な空の方がずっと美しいって、なんで思わないの?」
詩人であり歌い手でもあるアーティスト、友川カズキは、東京のカフェの一角に座って私にこういった。バックにはクリスマスソング、喫煙席は屋外だ。
フランスの監督ヴィンセント・ムーンの手がけた友川カズキの新しいフィルムがなければ、彼がどんな人間であるか知るのは、コアなファンくらいだっただろう。年齢性別を問わず何十年も彼の表現を見守り続けていたファン層、ということだが。
「私はいっつも空を見上げてるけど、一度も十分だと感じたことがないんだなあ」
空を見てその肌に風を感じることが大事なんだという自身の信念から、友川はしかめっ面をしながら言う。
「ちょうどこの夏だよ、私は公園で肌日焼けさせながら、鉄アレイでトレーニングやってて、空を見上げてたんだよ。だけどもう不快なくらい暑くてさ、外に出てるのなんて私一人だよ。私とカラスだけ」
「人間って進化してないの。変わるだけ。喜びとか怒り、悲しみ、楽しさ…そういう感情を深める機会ってのをずっと逃し続けてるんだな…結局一枚の紙以上の複雑さなんて持てないの」
そういって新しいタバコを取り出す。
1975年のファーストアルバム「やっと一枚目」をリリース以来、友川は数々のアルバム、詩集、絵本、そして、もうひとつの情熱である競輪に関するエッセイを出してきた。
「今日、ちょうど競輪のレースからの帰りなんだよ。興奮してるように見えるだろう」
笑いながら彼は言う。
その話題になるとまるで哲学者のようになるのだ。
「必要なのはものごとの性質を理解する力なんだ。数字を読むんじゃない、選手の心を読むんだ」
タバコの灰がジャケットに落ちるのも気にせず、友川は熱く語る。
「だから、競輪てのはもうほとんど文学の世界なんだな。深いよ…とても深い。ひとつレースを見終わると、何冊か本を読んだような気分になるな」
友川の前に置かれた二箱のタバコは、まるで大切な宝物のように見える。激しい歌詞で知られているにも関わらず、彼は親しみやすく、魅力的で、秋田訛りの穏やかな声で話す。彼は、その洞察力と同じくらいユーモアに溢れているのだ。
友川はアコースティックギターひとつで、80席くらいの小さい会場での演奏を続けている。演奏中は、まるで詩を読んでいるかのように低い声の時もあれば、叫びうなって夢中でギターをかき鳴らし、途中で弦を切らすこともある。
多くのアーティスト達が友川の演奏を崇拝しているが、今までそのほとんどが日本人だった。けれど昨年、他とはまるで異なる友川のスタイルがひとりの外国人映像作家の心を捉え、このアンダーグラウンド界のグルをレンズに収めようと決意させることとなる。
ヴィンセント・ムーンは映画「花々の過失(La Faute des Fleurs)」──友川カズキの肖像──を撮るために日本へやってきて、2週間滞在した。このフランスの監督は、Take-Away Showsという自身のプロジェクトで音楽業界で名を馳せ、R.E.M.やシガーロス、The National、ヨ・ラ・テンゴにトム・ジョーンズといった輩を出演させている。このプロジェクトは、ミュージックビデオの製作と配信の在り方を変えるきっかけになったのだ(クリップはヴィンセントのウェブサイトで見ることができる)
「日本へ着く前の二ヶ月間、僕はただ彼(友川)だけを聴いてたよ」
ヴィンセントはそういってサン・パウロからeメールをよこした。
この70分間のドキュメンタリは日本人歌手のステージの上と日常を追い、彼の息子を含む関係者達のコメントで彩られている。映画には自宅で競輪のレース観戦で熱くなる姿と、弦をかき鳴らす狂った友川の姿が同じように収められているのだ。
ヴィンセントは友川のことをこう言っている──
「強い人間だ──最初は近づきがたいと思ったがすぐにその印象は変わった。彼の寛大さと、他者への気遣いに驚いたよ。日に日に私たちは親密になっていった。彼は複雑な人間だが、人生へのアプローチという点で非常にラディカルだ。彼は私を変えたんだ──永久的に。この星で生き続けるということに対して、啓示を受けたように感じたよ」
友川も最初は映画のクルーと仕事をすることに興味を持てなかったようだ。
「どこへでもついて来るのよ彼らってば」友川は言う。
「そういうの好きじゃないでしょう、私、一人で暮らしてるから。だからマネージャーに言ったの、毎日つけ回されちゃ困るって…でも、それからヴィンセントの仕事を見させてもらったらね、びっくりしちゃって。それで、オファーを受けることにしたの」
ヴィンセントの作ったドキュメンタリが、友川を驚かせたのだ。
「彼(ヴィンセント)は学者みたいなんだな。非常に頭も良くて、べったりってわけじゃないの。何人かで外に飲みに行くときもちょっと離れたところに座って、微笑みながら酒をすすってるの…いつも私とは一定の距離を置いてたな。近づきすぎるとね、その人の本当ってのが見えなくなるんだよ。彼はそれを知ってたんだなあ」
「酔わないとステージに立てないのよ。酒なしでは歌えないくらいシャイなの…臆病だしね。前はね、歌詞カードの後ろに隠れてたくらい。良くも悪くも、今では歌詞全部覚えられないからそれが目の前にないと歌えなくなっちゃったけど」
映画の中で、ヴィンセントは友川の歌に英語字幕をつけることをやめた。
「まず言葉というのがそんなに好きじゃないんだ。身体での表現が好きだし、友川の身体表現はそれだけで激しく、言葉を加えると観客にとって複雑になりすぎてしまう。ふたつめに──そうやって自分が友川カズキを聴いたから。歌詞を読まなかったんだ。翻訳してくれる人もいなかったしね。ただイマジネーションだけで聴いたんだよ」(ヴィンセント)
近年では、友川はスコットランドやベルリン、フランス、韓国などで公演を行っている。観客は彼の言葉を理解できたのだろうか??
「私の声の音は何かを意味するかもしれないけど、まあただの音だよね。歌詞の質とかが大事なんじゃないの。結局、どう感じたいかだよ」
歌詞の意味が聴いてわかる人と、わからない人との感情的なスキマを否定して、友川が言う。英訳できない歌詞だってあるはずだと、とも。
友川は現在60歳、怒りは変わらずそこにある。
「日々が“淀みきった”この“島国根性丸出し”の国では何も変わらない」と彼は言う。
ドキュメンタリ映画が取り上げられてる間に、36年間に渡って書きためられた詩を集めた歌詞集ももうすぐ発売される。彼を支えてきたファンにとっても新しいステップになるのか?
「私は60年生きてるけど、大きな波は期待していないよ。これも小さな波で終わるかもね」
そういって友川はふざける。
しかし、最近の彼のライブは、20代や30代のファンが多い。
「なんでかわからないねえ…私くらいの年の人ってライブやらないでしょ。それってもう死んじゃってるってことだもんね。社会的に。もうみんな死んじゃってるんだ」
しかし、友川カズキは死んでいない。
彼は、相変わらず感情的に、生きている。
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さあ、映画見に行きましょう。
by iwafuchimisao
| 2010-12-20 21:32
| BLOG

