2011年 03月 02日
てがみをかく 第2考
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さて、「届かなかった手紙」について。
宛先不明もしくは料金不足で差出人に戻ってくる手紙というのは、大層優雅な迷子ちゃんだ。差出人の住所を明記してるかしていないかで、迷惑をかける先(=料金を請求される先)が異なるというのも不思議な気がする。「速達」とか「至急」って書いといたらとりあえず届いちゃうとか。(厳密には、差出人の住所が手紙を出したポスト・郵便局の区域外であれば、料金不足のまま相手方へ届く)
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ASSIGNMENT :
自分宛に手紙を二通出しなさい。
一通は切手を貼って、一通は切手を貼らずに。
どちらも差出人の住所を明記すること。
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同じ日にポストに投函したその手紙たちは、同じ日に自分のところへ届く。一通は正しく「届いた手紙」、一通は料金が足りずに「届かなかった手紙」として。私はこれをとても奇妙だと思う。なんというか、世の中の不条理すべてがこの二通の手紙の間で消費されているような気さえしてくるけど、多分それは、過ぎゆく時間に対する構造主義者の憧憬、ってやつと似てる何かだから、あなたは悩まないで(つまり気のせい)。
海外から出された料金不足の手紙は、差出国にてタックス不足のT字スタンプを捺されて届くらしい(もちろん不足分は受け取り人に請求される)。是が非でもそのスタンプが欲しい私は、今度は自分宛に書いた手紙をボストンへ旅立つ友人に託して、そのまま向こうのポストに投函してくれるように頼んだ。一通はアメリカの切手を貼って、一通は貼らずに。さて、シュレディンガーな手紙は私のもとへ届くでしょうか?
結論からいうと、郵便受けには切手を貼った手紙だけがひっそりと届いていた。T字スタンプも捺されず、張り紙もされず、配達員に料金を請求されることもなく。私はこれをとても残念だと思う。現実の郵便事情を考えると仕方のないことだとは思うけれど、届かなかった切手を貼っていない方の手紙については、世界のどこかで失われたと考えるしかなかった。まあ、私が私宛に綴った言葉が、海を渡る時点で消失したと考えるのは、なかなか文学的で宜しいけれども!
このように、届かなかった手紙に想いを馳せてみると、私たちは、目に見えるものと見えないもの、今ここにあるものともうすでにないもの、あらゆる可能性の海の中で浮力を得ようともがき続けている存在なのだなあとか考えてしまう。大げさだけどね。想像力だけがその波を越えられるのだ。
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今、ようやく129ページまで読み進めてきたクリス・クラウスの「アイ・ラヴ・ディック」、第二部の扉タイトルに「Every Letter is a Love Letter(どんな手紙もラブレター)」って書いてある。というわけで、「てがみをかく第3考」は、「出されなかった手紙」について、になるでしょう。
宛先不明もしくは料金不足で差出人に戻ってくる手紙というのは、大層優雅な迷子ちゃんだ。差出人の住所を明記してるかしていないかで、迷惑をかける先(=料金を請求される先)が異なるというのも不思議な気がする。「速達」とか「至急」って書いといたらとりあえず届いちゃうとか。(厳密には、差出人の住所が手紙を出したポスト・郵便局の区域外であれば、料金不足のまま相手方へ届く)
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ASSIGNMENT :
自分宛に手紙を二通出しなさい。
一通は切手を貼って、一通は切手を貼らずに。
どちらも差出人の住所を明記すること。
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同じ日にポストに投函したその手紙たちは、同じ日に自分のところへ届く。一通は正しく「届いた手紙」、一通は料金が足りずに「届かなかった手紙」として。私はこれをとても奇妙だと思う。なんというか、世の中の不条理すべてがこの二通の手紙の間で消費されているような気さえしてくるけど、多分それは、過ぎゆく時間に対する構造主義者の憧憬、ってやつと似てる何かだから、あなたは悩まないで(つまり気のせい)。
海外から出された料金不足の手紙は、差出国にてタックス不足のT字スタンプを捺されて届くらしい(もちろん不足分は受け取り人に請求される)。是が非でもそのスタンプが欲しい私は、今度は自分宛に書いた手紙をボストンへ旅立つ友人に託して、そのまま向こうのポストに投函してくれるように頼んだ。一通はアメリカの切手を貼って、一通は貼らずに。さて、シュレディンガーな手紙は私のもとへ届くでしょうか?
結論からいうと、郵便受けには切手を貼った手紙だけがひっそりと届いていた。T字スタンプも捺されず、張り紙もされず、配達員に料金を請求されることもなく。私はこれをとても残念だと思う。現実の郵便事情を考えると仕方のないことだとは思うけれど、届かなかった切手を貼っていない方の手紙については、世界のどこかで失われたと考えるしかなかった。まあ、私が私宛に綴った言葉が、海を渡る時点で消失したと考えるのは、なかなか文学的で宜しいけれども!
このように、届かなかった手紙に想いを馳せてみると、私たちは、目に見えるものと見えないもの、今ここにあるものともうすでにないもの、あらゆる可能性の海の中で浮力を得ようともがき続けている存在なのだなあとか考えてしまう。大げさだけどね。想像力だけがその波を越えられるのだ。
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今、ようやく129ページまで読み進めてきたクリス・クラウスの「アイ・ラヴ・ディック」、第二部の扉タイトルに「Every Letter is a Love Letter(どんな手紙もラブレター)」って書いてある。というわけで、「てがみをかく第3考」は、「出されなかった手紙」について、になるでしょう。
by iwafuchimisao
| 2011-03-02 05:46
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