2009年 06月 24日
メメント・モリ
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先週末、恒例のSuitendoに参加してみて、興味深いお話を聞けたので、
覚え書き。
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Suitendo #014「死を想う」
哲学の中でも論理学に基づいた哲学である「分析哲学」という領域から、
「死」をテーマに研究されている吉沢文武さんをゲストに、「死」を思考することを通じて、
これからの私たちの生き方について考えていきたいと思います。
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経済活動に即結びついたり、すぐ実践できるノウハウだけではない
テーマも扱うのがSuitendoの良所のひとつだと思っているのだけど、
参加人数はそんなに多くなく。
雲の流れで日差しが変化する和室の障子壁を横に、淡々と始まる。
そもそも「哲学」ってなじみがない故に、どんなもんなのかな、と
構えてたけど、最近の哲学は自然科学に配慮しているらしく、
数式で概念を表すことで、今まで曖昧だったものをくっきりさせていこう、
という流れらしい。
∃×(=E!(X)&X=Socrates)
記述理論によってこのように「ソクラテスが死んでいること」を表せる、
というのは、ぐっと哲学の世界が近寄ってくる気がしませんか?
死んだ人の思い出や記憶は、その人の存在に関係ない。
臓器移植を「体を切り刻むなんてかわいそう」という理由で拒否する遺族に
対して、かわいそうなのは誰?(その人はもういない)と
疑問を投げかける余地がある、というのが、今回の中心軸、「終焉テーゼ」。
聞き慣れない言葉だけど、この概念を持ち込むことで、自分の周りの死に対して
必要以上に負い目を感じたり、苦しんだり、そういった諸々を緩和させることが
できるのかな、と思う。
死に至る過程(dying)
死んでいること(being dead)
このふたつを区別して考える、というのがそもそも前提にないと、
残酷かつ冷酷な思考に感じられるかもしれないけど、名称もカッコいいし、
私としては非常に納得できる概念だ。
その他にも、
「古今東西の宗教がこぞって魂の永遠性を主張するのは、それだけの
下心が必ずある」
とか、
「世界通念のように感じられる、「プラスマイナスゼロにすべき」って発想に
議論の余地はないのか」
とか、
様々、自分の上に覆い被る世界というマントを、一度脱いでみたくなるような
面白い意見をたくさん聞けた。最後は時間切れな感もあったけど、
死について考えることで自分の生の再定義というか、いまを生きるに必要な
視界を広げる、充実した内容だったと思う。
反面、こういったことを必要なく生きていく人達がいるのも認めるけどね。
面白いお話が聞ける場があったら、いろいろ伺いたいものです。
by iwafuchimisao
| 2009-06-24 05:30
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