2012年 02月 01日
ジンのお礼にあじさいの花びらが送られてきた。

添えられていた薄い水色の便せんには、この寒い冬に夏を思うのも良いかと思いまして、と綴られている。取り出してしばらく、うっとりと眺めてしまった。
最終日に駆け込んだ千葉市美術館の「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展では、二人の間の精神のやりとりが手紙という形で多く残されており、久しぶりに胸のつまる思いでそれらを堪能してきた。
ダリに会いに行った際にカダケスの海岸で拾った貝殻や小石、デュシャンからの手紙や作品のメモ、送られてきたローズ・セラヴィのサインを何度も複製し直した痕跡…。
瀧口修造といえば日本へシュルレアリスムを紹介した第一人者、デュシャンはそれこそ20世紀美術に最も影響を与えた作家、などと言われているが、そういった美術史背景を抜きにしてもこの交流の跡は美しい。
蒐集が作品になる美しさ、といって連想したのはソフィ・カルの「The Birthday Ceremony」(誕生日のプレゼントを年代順にキャビネットで並べたもの)や日本滞在中を含むの写真やチラシを並べた(つまり失恋へのカウントダウン)「DAYS TO UNHAPPYNESS」などだけれど、ソフィのしたたかさ(褒めてます)とは全く異なる瀧口おじいちゃんの崇拝的友情の軌跡が乙女すぎて嫉妬。彼が多く作ったデュシャンにまつわる手製本なんて、まんまファンジンじゃないか。
(とはいえ、シュルレアリスムが(というか鈴木雅雄が)提唱しつづけていた「(真実と現実の齟齬としての)痙攣の交換」に手紙ほど適したメディアもないと思うので、それ以外の交流の手段がなかったとはいえ、これら一連のやりとりをひとつの運動の成果物として見ても面白いかも。)

2月、ちょうど一年前の寒い時期に、友人たちから「初めて会った時のこと」を綴ってもらった手紙を受け取った。今のツイッターなら、「#私と初めて会った時のこと覚えてますか?」くらいのハッシュタグになるんだろうか、でもそんな流れ消えるタイムラインじゃなくて、この、手元に残る何か、その返事を、一年経った今書いてみようかなとか思ってる。
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そして、「手書きの文字とデジタルのテキストが本当に同じ価値を持ったとき」の話はまた今度。想像力だけがこの海を乗り越えられるよね。

添えられていた薄い水色の便せんには、この寒い冬に夏を思うのも良いかと思いまして、と綴られている。取り出してしばらく、うっとりと眺めてしまった。
最終日に駆け込んだ千葉市美術館の「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展では、二人の間の精神のやりとりが手紙という形で多く残されており、久しぶりに胸のつまる思いでそれらを堪能してきた。
ダリに会いに行った際にカダケスの海岸で拾った貝殻や小石、デュシャンからの手紙や作品のメモ、送られてきたローズ・セラヴィのサインを何度も複製し直した痕跡…。
瀧口修造といえば日本へシュルレアリスムを紹介した第一人者、デュシャンはそれこそ20世紀美術に最も影響を与えた作家、などと言われているが、そういった美術史背景を抜きにしてもこの交流の跡は美しい。
蒐集が作品になる美しさ、といって連想したのはソフィ・カルの「The Birthday Ceremony」(誕生日のプレゼントを年代順にキャビネットで並べたもの)や日本滞在中を含むの写真やチラシを並べた(つまり失恋へのカウントダウン)「DAYS TO UNHAPPYNESS」などだけれど、ソフィのしたたかさ(褒めてます)とは全く異なる瀧口おじいちゃんの崇拝的友情の軌跡が乙女すぎて嫉妬。彼が多く作ったデュシャンにまつわる手製本なんて、まんまファンジンじゃないか。
(とはいえ、シュルレアリスムが(というか鈴木雅雄が)提唱しつづけていた「(真実と現実の齟齬としての)痙攣の交換」に手紙ほど適したメディアもないと思うので、それ以外の交流の手段がなかったとはいえ、これら一連のやりとりをひとつの運動の成果物として見ても面白いかも。)

2月、ちょうど一年前の寒い時期に、友人たちから「初めて会った時のこと」を綴ってもらった手紙を受け取った。今のツイッターなら、「#私と初めて会った時のこと覚えてますか?」くらいのハッシュタグになるんだろうか、でもそんな流れ消えるタイムラインじゃなくて、この、手元に残る何か、その返事を、一年経った今書いてみようかなとか思ってる。
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そして、「手書きの文字とデジタルのテキストが本当に同じ価値を持ったとき」の話はまた今度。想像力だけがこの海を乗り越えられるよね。































